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朽木の里
鯖街道
比良連峰は、標高が高い山がないわりに豊富な地形の変化で、登山者の間で「関西のアルプス」として親しまれています。
朽木村は、その比良山系の西に位置し、朽木谷といわれる山峡の底を流れる安曇川に沿うようにして町が開けています。
かつて、海が遠い京の都に、日本海から鯖や鰈などの海産物を運ぶためのルートがありました。
若狭湾でとれた鯖に一塩をして、一昼夜をかけて京都に運んだところから、近年になってこのルートは『鯖街道』と呼ばれるようになりました。
「京は遠ても十八里」といわれ、行商人が十貫(約38kg)もの荷物を背負って険しい山道を行き来しました。
朽木氏
この『鯖街道』は、日本海から京の都に向けて海産物を運ぶための道としてだけでなく、戦国時代にはときおり兵を運ぶためにも利用されました。
織田信長が越前の朝倉氏を攻めて敗れたさいに、羽柴(豊臣)秀吉らとともにこの街道を通って京都まで逃げ戻ったということがありました。
興聖寺の口伝によれば、信長は敗走の途上、朽木城(現郷土資料館)に一泊して体を休め、城主であった朽木元綱の案内で京都まで無事帰り着いたということです。
朽木氏は、婆娑羅大名として現代にも知られる近江(滋賀県)の佐々木導誉と同じ一族で、室町時代には、12・13代将軍が、戦乱を避けて朽木に長期の滞在をするほど、足利幕府の信頼を得ました。
この、足利義晴・義輝親子が3度にわたって朽木村に滞在した時期には、京の都から公家や朝廷の使者などが訪れ、実際に執政がおこなわれていました。ですから、室町の一時期、朽木村に幕府があったということも出来るわけです。
「都こそ  いまは朽木の杣ならし  紅葉も花も  行くえしらねば」という京都の公家が詠んだ和歌が残っています。
現在の朽木村
若狭湾と京の都の中間にあり、ふるくから交通の要所として重視される朽木村は、近年になって道路の整備がすすみ、恵まれた自然環境を活かした観光事業なども盛んにおこなわれるようになりました。 昭和58年頃のふるさと創世資金を活用した探査で掘り当てた源泉を利用した「温泉てんくう」は、温泉ファンが県外から訪れるほどの人気です。 「滋賀県立いきものふれあいの里」では、小動物や昆虫が多く生息する地域環境をそのまま野外観察のフィールドにしようという、画期的なこころみをおこなっています。 また、「朽木スノーフェスティバル」「朽木渓谷鮎まつり」など、風土を活かしたさまざまな催しが、年間にわたって企画されています。
なかでも地域内外の人々がこぞって楽しめるのが朽木新本陣で毎週日曜日に開かれる「日曜朝市」です。
国道367号線沿いの広場には鯖のなれ鮨、栃もち、天然うなぎの蒲焼き、山菜やキノコ、陶器や木工品など、土地の特産品がずらりと並び、のんびりした山里のいっかくがこの日ばかりは活気にあふれます。